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名古屋高等裁判所 昭和25年(う)409号 判決

被告人

依田兵造

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三月に処する。

理由

原審檢察官川井英良提出に係る控訴趣意及び當審檢察官南館金松提出に係る追加控訴趣意竝びに弁護人澁谷正俊提出に係る答弁及び追加答弁は夫々後記の通りである。

仍つて按ずるに本件控訴事実は被告人は岐阜市三番町六番地において「ベーゼ」と称する所謂軟派娯樂雜誌を発行するものであるが同誌五月號中第十五頁に「突然相良の腕がぐつと伸びて直美を抱きかかえてしまつた「アツちよつと・・・・・」と後が続かないうちに彼女の唇は相良のそれによつてふさがれてしまつた性慾の匂いのする唇づけであつた直美は相良の掌がやわやわと自分の乳房をさぐつてくるのを感じくすぐつたかつたが抗う氣はなくじつとしていた相良はそのゴムマリのように彈力のある胸がおののきもせず安らかに呼吸しているのを知ると無性に可愛くなつてもうたまららなくなり「いいね直美さん僕のものになつても・・・・」と囁いたもう夜であつた直美はかつと相良の胸の中に顏を伏せた相良は彼女を靜かに抱きしめたまま片手で電燈のスイツチを切つた相良の手が直美のまだ誰にも触れさせたことがない個所に触れた時彼女は一切の意識も感情も激しい嵐の中に卷き込まれたただ薄桃色の触覺と男の体臭とがごつちやになつて得も言われぬ愛慾の世界に陷ちこんでいつた、はあはあと荒い息をしながら相良は何度も愛している愛していると囁いた直美は一層激しく身を寄せた」記事及男女抱擁接吻せる挿絵又二十四頁の女性全裸にて性器露出を暗示して前に四人見物する挿絵等の性慾を刺戟興奮し人をして羞恥嫌惡の観念を生ぜしむる右雜誌を昭和二十四年四月二日頃前記場所において篠田英外四十名位に九千九百部を一部三十五円の割合で販賣したと謂うにあるがこれに対し原審は右記事及び圖画は未だ以て性慾を刺戟興奮し人をして羞恥厭惡の感情をおこさしめるに足りないとして被告人に無罪の言渡をしたものである。然しながら右記事は男女性交の情況自体を直接露骨に表現したものとはいえないにしても男性が女性に性交を挑みその性交直前の情況から性交に至る情況を俗惡煽情的に敍述しているのであつてむしろその性交自体の露骨な敍述よりも読者の性慾を強く刺戟興奮し羞恥厭惡の感情を抱かしめ同記事と共に登載されている挿絵は右記事の敍述を具象化しその猥褻の度を一層高めるものであり更に原審で取調べられたベーゼ五月號第二十四頁の挿絵は全裸の一女性が後向にて兩足を前方え投げ出しその股間をひらいている姿勢を描きその陰部自体を直接描いてはないがその前方にこれを見物すると思われる四人の男性を描きその解説と認められる花電車と題し大正年間震災直後東京玉の井において女性性器を露出見物せしめたとの記事と相俟つて大衆に対する女性性器露出の状況を想起せしめ因て性慾を刺戟興奮し人をして羞恥厭惡の感情を誘発するものであることが明かである。而して問題の記事なり圖画なりが猥褻か否かはその作者の企圖によつて定まるものではなくその客観的に表現されているところによつて、これを判定すべく又猥褻の觀念も固定しているものでなく時代と共に變遷するものであるところ現下の我國は敗戰に伴う思想的混乱から略々脱却したものの社会の一部においては猶性の自由とその放縦とを混同し性道德の頽廢を現出し同時にその取締の不充分なるに乘じて低俗卑猥な文書圖画の横行する状態であり過去において猥褻とせられたもの今日必ずしも猥褻となし得ないもののあることはこれを否み得ないのであるが一般世人としてはその性感情は健全であり露骨な男女性交乃至性器露出に関する行爲やその文書図画に対して何等性慾を刺戟興奮せしめられず羞恥厭惡の感情を抱かぬ即ち性慾的乃至倫理的反應を示さぬ程にその感情が鈍麻しているものとは考えられない勿論文学的又は藝術的作品において性慾的行爲やその感情に関する事項を取扱うものも多いのであるがそれ等にはおのづからその作品中に性感情を洗煉淨化しこれを時代の進化に順應せしめる作用を帶有しているのであつて前掲の記事や挿絵のように徒らに卑俗挑発的なものとはその趣を異にするものがあるのである。從つて原審が右の記事竝びに挿絵を以て未だ性慾を刺戟興奮し人をして羞恥厭惡の情を抱かしめるに足らないと判断したことは刑法第百七十五條の解釈適用を誤つた違法があり、その違法は判決に影響を及ぼすべきこと明かであるから論旨は理由ありというべく原判決は刑事訴訟法第三百八十條第三百九十七條によつて破棄を免れない。

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